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アクロポリス美術館
 
 

(訳注 570) トルソ torso
躯幹、胴体を意味するイタリ−語から出た彫刻用語で、首、腕、脚などを欠いた胴だけの彫刻を完全な作品と考え、トルソと呼んだのは 19 世紀に入ってからのことである。

(訳注 571) ネメアン・ゲイムズ Nemean Games
クレオナイ Kleonai のネメアの谷にあったゼウス神域で行われた ギリシャ 4 大祭礼の一つとされる ネメア祭の全ギリシャ的な祭典競技で、オリムピア−ドの 2 と 4 年目に 2 年目毎に催された。ヘラクレスがネメアの獅子を退治した時に創始されたとも、テ−ベに遠征した七将の総帥 アルゴス王のアドラストス Adrastos が 大蛇に殺されたネメア王子のために催した競技が始まりであるともされる。

(訳注 572) クロイソス Kroisos
多分 ペイシストラテイダイ家系の人々に対抗する アテネの名門のアルクメオニダイ一門の一員であり、一族にゆかりのある リュデイア Lydia 王のクロイソス(在位 B.C.561- 547 年)に因んで 命名されたものであろう。この像の主の兵士が どの合戦で斃れたのかは、明確でない。

(訳注 573) ラコニア地方 Laconia (page 41 図 04 参照)
ペロポネソス半島に侵入したドリス人が発展させた国家で、ラコニアでは二王家の形をとって王権が存続し、二人の王が総てのラケダイモン人に対する宗主権を主張した。リュクルゴスの作った新しい国家組織では 二人の王は軍事・宗教上の首長であったが、長老会では終身任期の 28 人の長老と同等の力を持つに過ぎなかった。

(訳注 574) スキタイ地方 Scythia
B.C.6 世紀から同 3 世紀頃まで イラン Iran 系のスキタイ族が支配した 黒海北岸の草原地帯を言う。その 3 部族中、典型的な遊牧民の <王族スキタイ>を中心として  B.C.4世紀に 統一的な大王国を形成し、動的な動物意匠を透かし彫り風に表出した スキタイ文化も栄えたが、同 3 世紀には サルマ−ト人 Sarmat の攻勢に押されて 王国は崩壊した。

(訳注 575) ポロス polos
ギリシャ彫刻の女神に見られるような 高い渦巻き形の髪型を言う。ポロイ poloi は複数形である。

(訳注 576) パルメット模様 palmett
棕櫚の葉をモチ−フとした 左右対称形の装飾模様で、単独で用いられることもあるが、多くは連続模様として 又ロ−タス lotus と結合したアンテミア anthemia の形で用いられる。

(訳注 577) プロクラステス Procrustes
古代ギリシャの強盗で、捕らえた人を鉄製の寝台に寝かせ、その人が寝台より長ければ余った部分を切り 短かければ引き伸ばして、寝台と同じ長さにしたと言う。

(訳注 578) シフノス島 Siphnos (page 41 図 04 参照)
キクラデス群島 Cyclades の西南部にあるギリシャの小島で、古代には 金山、銀山で有名であった。B.C.525 年にサモス島 Samos 人に襲われて、没落した。

(訳注 579) エレトリア Eretria (page 41 図 04 参照)
ギリシャのエウボイア島 Euboia の 中西部海岸の古都市で、現在は小村である。商港として栄え、B.C.7 世紀には エ−ゲ海北岸に植民市を建て、商業同盟の中心となったが、その後は余り栄えず、B.C.490 年 カリトス Karystos と共に ペルシャ軍に破壊された。

(訳注 580) ハルキス Chalkis (page 41 図 04 参照)
カルキス Khalkis とも言う。アテネの北 15 km.にあり、海に面したエウボイア島西岸に位置するイオニア人の植民市で、島第一の都市として B.C. 8 世紀から各地に植民して 商業都市として活動したが、B.C.506 年にアテネに敗れた。<青銅の町>の意で、B.C.900 年頃 近郊の町に青銅鋳造所があって、繁栄していた。

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