訳 注

 P34(-p64)
訳注 2/32

(本文訳注 008) ドリス人 Dorians
ギリシャ中部オイテイ山 Mt. Oiti とパルナソス山 Mt.Parnassus の間のキフイソス川 Kiphisus 上流に B.C.12 世紀頃にあった 古代国家ドリス Doris の住民である。古代ギリシャ種族の中では最も遅く 西北方から<ドリス人の侵入>として本土に移動し、ギリシャ中部からペロポネソス半島にも侵入して ミュケナイ世界を滅ぼし、半島の大部分に定着した。次いで海上に出てクレタ島、小アジア西岸南部(ドリス地方)にも定着し、植民時代にはシシリ-島と南イタリ-に多くの植民市を建てた。ドリス方言を語り、3 部族制を保ち、陶器、彫刻、建築に優れた才能を発揮した。その代表的な都市はスパルタである。

(本文訳注 009) ヘレニステイック期 Hellenistic
アレクサンダ-大王の東征(B.C.334 年)或るいはその歿年(B.C.323 年)に始まり、プトレマイオス朝 Ptolemy の最後の年であるクレオパトラ Cleopatra の歿年( B.C.30 年)までの 凡そ 300 年間をいう。大王の遠征で これまで略々ギリシャ人の間に限られていたギリシャ美術は、小アジア、シリア、エジプトなど 広くオリエント全土に拡大し、夫々の土地の文化的伝統や歴史的事情と結び付いて、多くの特色ある作品を生み出した。美術の中心地は、ペルガモン、エフエソス、ロドス、アレクサンドリアなど東方に移った。前後期に分かれ、前期は B.C.146 -145 年までの凡そ 180 年間で、マケドニアの 4 王朝が併立して、ヘレニズム文化はその最盛期に達した。後期は前期に続く 凡そ 120 年間で、東方に伸びて来たロ-マの武力征服のために ヘレニズム文化がその保護者を失って、衰亡への一途を辿ったのであった。ドイツ史家ドロイゼン Droysen の著した<アレクサンドロス大王史>以後、この呼び方が一般化した。

(本文訳注 010) トロイ戦争 Trojan War
小アジアのヘレスポントス海峡 Hellespont(ダ-ダネルス海峡)に近い丘にあったトロイ王城を巡る攻防戦で、ホメロスの<イリアド>にうたわれている。トロイ王プリアモスの王子パリスがスパルタの王メネラオスの妻ヘレネ Helene を誘拐してトロイに連れ帰った。ギリシャの諸国王は連合して、メネラオスの兄のミュケナイ王アガメムノン Agamemnon を総大将とし アキレウス、オデユッセウス Odysseus らも参加して、 14 の船と数万の将兵を率いてトロイに攻め寄せた。トロイ側も王子ヘクト-ル等勇将多く、戦いは 10 年に亘るも決しなかった。オリムポス山の神々も 敵味方に分かれて助けた。遂にギリシャ軍はオデユッセウスの木馬の謀が成功して、トロイを滅ぼした。ギリシャの年代記では B.C.1182 年(又は B.C.1250 年)の出来事と推定されている。

(本文訳注 011) パルテノン神殿 Parthenon  (page 27 図 02 参照)
アテネのアクロポリスの丘の上の神殿で、アテネの最盛期のペリクレス時代に フイデイアスを総監督、イクテイノス Ictinus とカリクラテス Callicrates を建築家として建築した。B.C.447 年頃に起工し、同 432 年頃に完成した。前面に 8 柱、側面に 17 柱の繞柱式で、ドリア式にイオニア式を 内部に加味したものである。内部の構造と長短の比、柱そのものにおける高さと太さの比、柱間距離、柱と上部構造との比などの課題を古典的に解決した 調和均衡のギリシャ式神殿の典型である。

(本文訳注 012) フリ-ズ frieze
古代神殿建築において エンタブレイチュアを構成する水平の部分で、ア-キトレイブとコルニスとの間に位置する。ドリア柱式オ-ダ-ではメト-ペとトリグリュフより成る。一般にはコルニスの下に設けられる帯状の面を呼び、装飾帯となることが多い。

(本文訳注 013) アテ-ナ女神 Athene
オリムポス山 12 神の一で、ギリシャ神界最大の女神である。恐らくギリシャ先住民族の神を印欧語族のギリシャ人が受け継いだと見られる。本来ミュケナイ時代は君主の守護神であった。神話ではゼウス神とメテイス女神 Metis(思慮)の娘で、ヘパイストス神が斧で割ったゼウス神の頭から 完全に武装した姿で飛び出したという。国家の守護神となり、織物・陶器・冶金・医術その他の技術の女神、フル-ト音楽の女神であり、更に戦術の女神として 常に武装した若い威厳のある処女と見られていた。巨人族ギガ-ズとの戦いでパラス Pallas を殺し、その皮を剥ぎ取って鎧の胴を作り(このため屡屡パラスとも呼ばれる)、ペルセウスを援けて その退治したゴルゴンの首を盾に付け、イジスを鎧った姿で 男性的な顔付きで表わされることが多い。知勇兼備の純潔処女神で、後知性の擬人化と見做す傾向を生じた。アテネではポセイドン神とアッテイカ地方の所有を争って勝ち、その守り神となったことからオリ-ブ栽培の保護神とされている。梟が女神の聖鳥で、ロ-マではミネルヴァ Minerva と、エジプトではネイト Neith と同一視されている。ニケ女神は この女神に付属する神々の中の一人である。

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