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(本文訳注 045) ガリア人 Gaul
古代のヨ-ロッパ中部及び西部に住み、更には小アジアのガラテイア Galatia に定住した ア-リア系 Aryan の人種ケルト人 Celts を ロ-マ人がガリア人と呼んだ。現在の北イタリ-、フランス、ベルギ-に当たる地域である。原住地は南ドイツと考えられ、既に B.C. 900 年から移動を起こし、B.C.7 世紀まで 今日のフランスを占領し、ブリテン島やスペインにも入り イタリ-に入ったものは北伊に定住して、390 年にロ-マを略奪した。後小アジアに渡って ガラテイア王国を建設した。ロ-マの地中海帝国成立以前 フランスを中心とするケルト世界を形成した。精悍な騎馬民族で、貴族的部族制社会を構成していたが、政治的には統一がなく 部族相互に対立していた。B.C.58 - 51 年カエサルが遠征して、ロ-マの属州となった。

(本文訳注 046) レッシング G. E. Lessing
1729 - 1781 年。ドイツ啓蒙時代の劇作家で、哲学者である。ザクセン Sachsen の牧師の家に生まれた。最初神学を学んだが 後市民の啓蒙の場であった劇場に熱中した。美学・演劇批評・神学・歴史など あらゆる分野で目覚ましい活躍をし、ドイツ国民文学の創造に貢献した ドイツ啓蒙思潮を代表する思想家の一人である。豊富な古典的教養を駆使した国民劇・文学と造型美術との区別を論じた<ラオコ-ン> Laocoon・演劇の本質を明らかにしようとした<ハンブルグ戯曲論>などによって、近代ドイツ古典主義文学の理論的基礎を築いた。

(本文訳注 047) アリストテレス Aristotle
B.C.384 - 322 年。ギリシャの哲学者で マケドニア王の侍医の子として カルキデイケ半島の小都市スタゲイロス Stagira に生まれた。 17 才でアテネに赴き プラトンのアカデミアに学ぶ。プラトンの死後小アジアに移り、B.C.343 年にマケドニアで  13 才のアレキサンダ-大王の師となる。その後アテネで学園を開くが、大王の死後 マケドニアと関係のあったことから 不敬神のかどで訴えられ、ハルキスに退いた。彼の研究は実証主義的傾向が強く、プラトンのイデア論を批判するが、その根底には 最後までプラトン哲学の影響が見られる。論理・倫理・政治・心理・芸術・生物の諸学に独自の方法と内容とを与えて 基礎を築くと共に、形而上学を頂点とする体系に築き、全存在を統観的に把握しようと努め、哲学と科学とを結合させた。

(本文訳注 048) ゲ-テ J. W. von Goethe
1749 - 1832 年。ドイツの作家である。フランクフルト・アム・マインの富裕な家庭に育った。ヘルダ- Herder の影響を受け、<若きヴェルテルの悩み>など 個性的な熱情の迸る作品を書く。ヴァイマ-ル Weimar 公 カ-ル・アウグスト Karl August に招かれ 宰相として政治活動に参与した。後 文学活動に復帰し、シラ- Schiller と共に 古典主義文学を開花させた。<ヴィルヘルム・マイスタ- Wilhelm Meister の徒弟時代>など 理想的市民社会を描いて、優れた社会的洞察を示した。生涯の大作の<フアウスト Faust>は、自由を探求する市民精神の表現として、不朽の価値を持つ。

(本文訳注 049) エギナ島 Aegina ( page 27 図 01 参照 )
ギリシャ本土のサロン湾 Saronic Gulf 内のほぼ中央にある島で、面積は凡そ 80 平方 km.、人口凡そ 10 千人の小島である。ドリス人が占住して、島と同名のポリスを形成した。平地に乏しく 早くから海上交通に発展した。B.C.7 世紀半ば ギリシャ人の間では初めてこの島で、小額貨幣が鋳造された。ギリシャの代表的な商業都市で、強大な海軍と通商による富で 有力な国となったが、他に植民市を設けることはしなかった。B.C.6 世紀初めに 海上に進出を始めたアテネと 海軍で相争うことが多かったが、次第に圧迫されて 勢いが振るわなくなった。 

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