訳 注

 P52(-p64)
訳注
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(本文訳注 121) オイノマオス王 Oenomaus
アレス神の子である。ステロペ Sterope か又はエウリュトエ Eurythoe を妻として 一女ヒポダメイアを得た。娘を車に載せて コリント地峡まで逃げ了せることを 娘の求婚者たちに結婚の条件として要求し、これに失敗した求婚者 12 人を殺したが、最後は馭者ミルテイロスの不信で ペロップスに敗れて死んだ。

(本文訳注 122) ペイリト-ス王 Peirithoos
テッサリ-に棲む ラピタエ族の王で、ゼウス神とデイア Dia との子である。カリュドン Calydon の猪狩りで テセウスの親友となった。アドラストス Adrastos とアムピテア Amphithea との間の 次女のヒポダメイアとの結婚式に招いたケンタウルの一人エウリュテイオン Eurytion が 花嫁を奪おうとして,有名な戦闘が起こり、テセウスも共に戦った。彼は又 テセウスのアマゾン族との戦いにも参加した。二人は ゼウス神の娘を妻とする誓いを立て、テセウスはヘレネ- Helene を奪ったが 王は冥府の女王ペルセポネを得んとして テセウスと共に地下の国に降り、地獄の王ハデスに捕らえられた。ヘラクレスも テセウスだけは救出したが、神意を察して ペイトリ-スの救出は断念したとされる。

(本文訳注 123) ラピタエ族 Lapithae
ギリシャ北部テッサリ-の山岳地方に 先住民族のペラスゴイ人 Pelasgians を追い払って棲んでいた勇猛な民族で、その他には オレノス Olenos、エリス Elis、レスボス島 Lesbos の各地方にもいた。支配者の祖は ペネイオス河神 Peneios に発し、その一人娘がアポロ神と交わって ラピテスを生んだ。ケンタウルとは 血縁関係にあり、互いに支配権を争った。

(本文訳注 124) ケンタウル Centaur
馬身で 腰から上が人間の姿の怪物で、人間の手と共に 馬の四肢を持つ。テッサリ-のペリオン山の山野に棲み、動物的な本能を剥き出しにし 不意に狂暴な振る舞いに出るという 野蛮で乱暴な種族である。ラピタエ族との戦いに敗れて アルカデイア地方 Archadia やエリス地方にも移り棲んだ。マレア半島 Malea に棲む不死のケイロン Cheiron は 医術その他の技に長じ、アキレウス、アスクレピオス、イアソンIason など多くの英雄の養育・教育を任され、ポロス Pholos と共に野蛮ではなかった。

(本文訳注 125) ペルシャ戦争 Persian War
ペルシャ帝国がギリシャを侵略した戦争である。イオニア地方のギリシャ人植民市がペルシャに対して起こした反乱を アテネとエレトリア Eretria とが援助したのを
ダレイオス一世 DareiosⅠが怒り、B.C.492 年から 479 年までの間に 3 回に亘ってギリシャに侵攻した。ギリシャは存亡の危機に立ったが アテネを中心に良く戦い、最後は陸海とも ギリシャが勝利を収めた。特にアテネは デロス同盟を結成して 海外雄飛の基を開き、ギリシャはアテネ文化繁栄の年代を迎えた。

(本文訳注 126) フイデイアス Phidias
B.C.490 年頃 - 430 年頃。アテネ生れのギリシャの彫刻家で、B.C.5 世紀後半に主にアテネで活躍した クラシカル期を代表する巨匠である。ペルクレスと親交があり、パルテノン神殿造営の総監督で 本尊<アテ-ナ・パルテノス>の金と象牙の像や オリムピアの<ゼウス神の像>など多くの傑作を残したことが、文献によって知られている。反ペルクレス派に乗ぜられて 他国に出ていて、歿年も死亡の場所も不明である。原作として立証出来るものは現存していないが、ア-ケイック期の生硬を脱し、人体を完全な有機体として表現し、B.C.5 世紀後半の美術界を支配したその作風は パルテノン神殿の装飾彫刻から推測して知ることが出来る。

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