(本文訳注 175) ダ-ダネルス(ヘレスポント)海峡 Hellespont ( page 27 図 01 参照 ) トルコの西端エ-ゲ海と マルマラ海 Marmara とを結ぶ海峡で、幅は約 5 km. 長さは 70 km.と 極めて狭長である。古代ギリシャ人に呼ばれたヘレスポントは <ヘレ Helleの海>の意で、アタマス Atamas の娘のヘレが 金毛羊に乗って此処を渡る途中で 落ちて死んだという神話から この名が出たという。ダ-ダネルスの名は B.C.1 世紀頃この海峡の小アジア側の岸に繁栄した ギリシャ人都市ダルダノス Dardanos に由来する。嘗て海峡の東口に近く トロイが栄え、その後も 黒海沿岸の植民都市とギリシャ本土とを結ぶ 商業上の要路であった。ペルシャ・マケドニア時代から近世に到るまで 海峡の通行権を巡る紛糾が絶えなかった。
(本文訳注 176) ガラテイア地方 Galatia 小アジア中心部の地方名である。B.C.3 世紀初め ガリア人 Galli が侵入して王国を建設し、長く独自の言語と風俗を保存した。3 部族より成り、各部族は更に 4 群に分かれ、ギリシャ人は テトラルキア tetrarchia(四分割統治)と呼んだ。ペルガモン王国の エウメネス二世に征服された。B.C. 25 年に ロ-マが属州のガラテイア州を置いた時 その中心となった。
(本文訳注 177) エウメネス二世 Eumenes Ⅱ ? - B.C.160/159 年。ペルガモンの王で 在位 B.C. 197 - 160/159 年。アッタロス一世 AttalusⅠの子で、ロ-マと友好を結び アンテイオコス三世がロ-マに敗退したマグネシアの戦いでロ-マに組して 小アジアの大部分を得た。晩年はガラテイア人、ビテユニア人の侵入に悩んだが、ペルガモンを学業の中心とし 大図書館を建設した。 (本文訳注 178) ギガ-ス族 Giants 巨大な身体を有し 巨力を振るった神話中の一族で <ガイアの子供たち>の意である。勇敢な戦士とされ、頭と顎から濃い毛を生やし 腰から下は龍の姿の 野蛮な民族ともされる。オリムポス山の神々に戦いを挑んで 岩や火の点いた樫の木を 空に投じた。ポルピュリオン Porphyrion や アルキュオネウス Alkyoneus を始めとするギガ-ス族は 人間が神々の味方に付けば 退治されるという予言通り、アテ-ナ女神を通じてヘラクレスを味方に引き入れた神々に 次々に殺されて、ギリシャとイタリ-の火山の下に埋められた。巨人族との戦いのギガントマキア Gigantomachia は、屡々彫刻の題材となった。
(本文訳注 179) トルソ torso 躯幹・胴体を意味するイタリ-語から出た彫刻用語で、首、腕、脚などを欠いた 胴だけの彫刻を完全な作品と考えて トルソと呼んだのは、 19 世紀に入ってからのことである。ギリシャやロ-マの遺跡から発掘されたトルソに 彫刻としての美を認め、トルソによって人体の美を象徴することを知った近代の彫刻家は むしろトルソの美を純粋化するために 首や手足を省略して、人体美の象徴的な効果を収めようとした。
(本文訳注 180) バロック baroque <不条理・不整形なもの>の意で、ポルトガル語の barroco(<歪んだ真珠>の意)に由来するとも、イタリ-語で 16 世紀に不合理な論法や思考を バロコ barocco と呼んだことに由来するともされる。西洋美術の中では ルネッサンスの自然主義、古典主義様式に対して、感覚的効果を狙い バランスを欠くまでの動的な芸術表現をした 16 世紀後半から 18 世紀前半まで続いた美術様式(誇張された装飾がその特徴である)に対する蔑称として、 18 世紀後半のイタリ-及びフランスの芸術批判で 用いられたものである。
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