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(本文訳注 188) ヴァ-ジル Virgil
B.C.70 - 19 年。ロ-マの詩人ヴェルギリウス Publius Vergilius Maro を呼ぶ。北イタリ-のマントウア市 Mantova 南方に生まれ、青年時代は 父の農園で過ごした。 B.C.41 年オクタヴィアヌス Octavianus が老兵に土地を分配する際 所有地を失い、ロ-マに移って 文学愛好者マエケナス Galius Cilnius Maecenas の友となり、B.C. 37 年から<田園詩> <農耕詩>を作った。アウグストス帝に仕えた宮廷詩人となり、晩年の大作<アエネイド>は ラテン文学中最高の叙事詩である。ギリシャ旅行の帰途、ブルンデイシウム Brundisium で死亡した。

(本文訳注 189) アエネイド Aeneid
ロ-マの詩人ヴァ-ジル作の叙事詩で B.C. 29 年から死に到るまで 11 年をかけて執筆した大作で、彼の名を不滅にした。ラテイウム Latium の地を占領しようとするトロイ人の勇敢な戦いや、アエネイス Aeneas がトロイの落城後 諸国を漂泊し、ロ-マ建国の祖となった物語を叙した。アウグストス帝による平和への努力に照らし、ロ-マの古代史が現代に対する理想として描写され、神々への深い信仰、神の賢明な摂理に対する信頼、高い倫理的な世界観が、古代の英雄の例を通じて強調されている。この宗教的・国民的傾向、劇的な行為、現象の心理的・精神的な内面化、成熟した言語使用と洗練された詩形式は 彼の天才を示している。

(本文訳注 190) トロイ Troy ( page 27 図 01 参照 )
小アジアの西北部 ダ-ダネルス海峡 Dardanelles に臨むヒッサリク Hissarlik の丘にあった古代都市で、ホメロスの叙事詩イリアドによって知られる トロイ文明の中心地である。B.C. 2000 年頃の青銅器時代初期から ヘレニズム期後期に到る 9 層の 住居や城壁を含む都市遺跡があり、ヨ-ロッパとアジアを結ぶ海陸交通の要衝として栄えた。その第 1 市は既に城壁を作り、金属文化を持っていた。B.C. 3000 年紀の後半頃の第 2 市は堅固な城壁を持ち、ミュケナイ期の住居形式のメガロン megaron を 4 個城内に持ち、交易と農産 更に背後地の富裕な鉱産によって最初の隆盛期を示した。第 6 市が第二の最盛期で、トロイ戦争は 第 7 市Aとされる。 19 世紀後半にシュリ-マンが ホメロスにうたわれたトロイ再現を目指して 発掘した。

(本文訳注 191) グレコ・ロ-マン Graeco - Roman
ギリシャとロ-マの混合様式で、紀元前後 1 世紀を盛期とし、ロ-マが制作の中心である。ギリシャがロ-マに屈服した後 夥しい数のギリシャ彫刻がロ-マに運ばれ、更に多くのギリシャ人作家をロ-マに招いて 名作の摸作が作られた。この際 原作を忠実に摸刻する他、ロ-マ人の趣味や ヘレニズム美術以来の自然主義的傾向によって 原作に多少の変化が加えられている。

(本文訳注 192) キニク派 Cynic
禁欲主義の小ソクラテス Socrates 派の一つである。最も典型的な代表者は シノペ Sinope のデイオゲネス Diogenes であるが、その師で ソクラテス門下のアンテイステネス Antisthenes がこの派の祖とされ、学派の明確な団結はなかった。ソクラテスの理想とした 独立自由な人格という考えを極端に発展させて、原始的・反文化的な禁欲的消極主義を唱え、衣と杖と頭陀袋以外は身に着けず 桶を住居とし、乞食の生活を自由な生活の理想として 実行する者も現われ、犬のような生活から 犬儒学派の名が生まれた。B.C.3 世紀頃に隆盛し、B.C.2 - 1 世紀に衰え、A D 1 世紀以後に 再び盛んとなった。その名称は 創始者のアンテイステネスのアテネにあった学校の キュノサルゲス Kynosarges から出たとも、犬のような(ギリシャ語のキュニコス kynikos)この学派の生活から出たとも言われる。

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