(本文訳注 027) ゼウス神 Zeus ギリシャ神界の最高神である。神話では タイタン神族 Titan のクロノスとレアとの子で、ヘステイア Hestia・デメテル・ヘラ・ハデス・ポセイドンは その兄か姉である。祖父神ウラノス Uranos の予言通り 父を倒して世界の支配者となった。その名は 印欧語源で、天・昼・光を意味している。神々と共に オリムポス山頂に宮居を構え、鷲を従え、手に王笏、雷霆を持った姿で表わされる。神と人との父と呼ばれたが、氏族制度の反映で 家父長としての性格が強く、民族の族長として 社会秩序の維持者ともなった。多くの女神や人間の女と交わって 多くの子供を得た。恣意的な神で 弱点もあったが、ヘシオドス以来一部の詩人に 全能に近い正義の神とされ、ストア学派 Stoikoi では 崇高な唯一神とされた。民間信仰では、各地で 土着の神を吸収して祭儀が行われた。聖木は 樫、犠牲は 山羊・牡牛・牝牛である。ロ-マの主神ジュピタ- Jupiter と同一視されている。
(本文訳注 028) ジオメトリック期 Geometric ミュケナイ美術が滅んだ後、ギリシャ人が最初に作り出した美術様式の幾何学様式が アッテイカ地方で最も発達した B.C. 900 - 700 年を言う。この時代の陶器が主に 幾何学的、抽象的図形で飾られていることから この名で呼ばれ、主要な装飾モチ-フは 平行線・メアンデル meander(雷文)・菱形・三角形・市松・同心円などで、ここにも ギリシャ人の美術に対する知的、合理的な態度が良く窺われる。特にその後半の B.C. 9 世紀後半から 8世紀半ばがその最盛期で、壺のほぼ全面に幾何学文を配する デイピュロン式と呼ばれる葬祭用の精巧な大型陶器が、ケラメイコス墓地 Ceramicus から大量に出土した。
(本文訳注 029) ア-ケイック期 Archaic 幾何学様式が解体した B.C. 7 世紀初期からペルシャ戦争の終わった B.C. 480 年頃までの ギリシャ美術の初期の段階を示す時代を言う。アルカイックは<原初の>又は<古い>の意味のギリシャ語<アルカイオス archaios>から来ている。B.C.7 世紀の動物や植物、空想的怪物などの装飾モチ-フの<オリエント化様式>陶器の流行に始まり、同中頃のエジプトの影響を受けた大型石造彫刻の成立を経て、B.C.600 年頃には 直立裸体のク-ロス(青年)像や 着衣のコレ-(少女)像が数多く作られた。その姿は未だ極めて幼稚、素朴であるが、芸術家の写実的関心は B.C. 6 世紀を通じて驚くべき速度で高まり、この期後期の作品は 非常に正確で有機的に構成された人体表現が確立されている。又どの彫刻にも見られる<ア-ケイック・スマイル>は 当時の芸術家が彫刻に生き生きとした人間的感情を与えようとする努力のあらわれと見られる。
(本文訳注 030) ヘロドトス Herodotus B.C.484 - 430 年以後。ギリシャの歴史家である。小アジアの ハリカルナソスの名門に生まれた。後年アテネを訪れて ペリクレスやソフオクレスと交わり、アテネ民主政の賛美者となった。生涯の間に 北は黒海沿岸、南はエジプトの南端、東はバビロニア Babylonia に及ぶ大旅行をし、広い見聞を得た。<歴史>( 9巻)は 東西両大国の衝突としてのペルシャ戦争を主題とし、その間に多数の挿話が織り込まれ、又大旅行によって得られた見聞が記述されている。<歴史の父>と称され、各地各民族の風俗習慣の相違に通じたため、慣習について相対主義的立場に立つ。
(本文訳注 031) ツキュデイデス Thucydides B.C.約 460 - 約 400 年。アテネ民主政最盛時の歴史家である。オロロス Oloros の子で キモンとは縁続きである。B.C.424 年将軍としてペロポネソス戦争に参戦し、スパルタのブラシダス Brasidas に包囲された トラキア Thrakia のアムフイポリス Amphipolis の救出に失敗して、 20 年間アテネから追放された。その間トラキアに移って、ペロポネソス戦争をテ-マとする 政治・軍事史<歴史>8 巻(B.C.411 年までの未完成で終わった。)を纏めた。ヘロドトスの物語り的歴史に対し 実用的、科学的歴史の典型とされ、正確な編年史の形をとり、様々な資料を批判的に扱い、正確な記述を残すことを期したもので、教訓的、実用的歴史の祖と言われる。
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