(本文訳注 061) ナクソス島 Naxos ( page 27 図 01 参照 ) ギリシャ南方 エ-ゲ海上のキクラデス群島の最大島で、南北の長さ 35 km.、東西の幅 25 km.の楕円形の島で、面積 437 平方 km.、人口は 20 千人余で、ギリシャ領で葡萄酒の名産地である。全島片麻岩と石灰岩から成り、その半透明の岩脈を持つ大理石が 古くから彫刻に用いられた。古くカリア人、トラキア Thracia 人、クレタ人などが移住し 後アテネ人が植民した。デイオニソス神信仰の中心地として知られ、B.C.600 年頃に貨幣も鋳造された。イオニアの反乱に加わって B.C.490 年にペルシャ軍に占領され、ペルシャ戦争後はデロス同盟に加わり その後はアテネの支配下にあった。 (本文訳注 062) パロス島 Paros ( page 27 図 01 参照 ) ギリシャ南東部 エ-ゲ海のキクラデス群島の中の大きい島で、面積は凡そ 210 平方 km.、人口約 9 千人である。優秀な大理石の産地として知られる。B.C.700 年頃に、この島からタソス島に植民が行われた。B.C.490 年のペルシャ軍のギリシャ討伐、480 年のクセルクセス王の遠征時にはペルシャ軍の味方をしたが、後デロス同盟に加わった。 (本文訳注 063) ダエダリック期 Daedalic B.C.650 年を中心とする ア-ケイック期初期の凡そ 50 年の間を呼び、クレタ島に始まって やがてペロポネソス半島、キクラデス群島の島々からギリシャ全土に拡まった 等身大より遥かに大きい若者像を始めとして 途方もなく大きい建造物や彫刻物が数多く作られたのが、この期の特色であった。この期にアッテイカ地方で発達した壺の装飾様式は、その黒絵式手法と主題の逆説的構成に特色があった。
(本文訳注 064) プロトメ protome 何か物の一番先の部分とか 上の部分とかのことである。ジオメトリック期からダエダリック期に作られた 動物の上半身を指して言う。胸像や上半身像を言うこともある。 (本文訳注 065) グリフイン Griffin 獅子の胴に鷲の頭を持つとされる有翼の伝説上の怪獣で、スキタイ地方 scythia に棲み その地の黄金を守ると信じられた。アポロ神の聖獣と考えられ、又その酒と水とを混合するための甕を守っていたとして、デイオニソス神とも関係付けられる。
(本文訳注 066) ミュケナイ Mycenae ( page 27 図 01 参照 ) ペロポネソス半島東北部のアルゴリス地方北辺の先史ギリシャ年代の城塞都市で、太古の青銅器時代の中心地である。伝説では トロイ遠征軍総指揮官のアガメムノンの居城とされる。B.C. 1600 年頃から海上活動が盛んになって 文化が進み、次第に富強になってクレタ人を圧迫し ミュケナイ時代となった。 B.C. 1400 - 1100 年に地中海沿岸諸国に栄えたこのミュケナイ文明は、エ-ゲ文明後期に属し、クレタ文明の模倣ながら 尚武的で、ギリシャ的特性も含んだが、技巧はクレタに劣った。B.C.1200 - 1100 年のドリス人の侵入で衰え、同 468 年に壊滅した。A D 1876 - 1877 年に シュリ-マン Heinrich Schliemann が廃墟を発掘して、ミュケナイ文明を発見した。
(本文訳注 067) メト-ペ metope ( 小間壁 - page 29 図 03 参照 ) ドリア式オ-ダ-のエンタブレイチュア entabrature では、フリ-ズがトリグリュフ(三条竪筋溝)飾りで幾つかの区画に分割され、その区画の板石で作られた方形の枠間の一つ一つの壁をメト-ペと呼ぶ。無飾りもあるが 浮き彫りの彫刻装飾で飾られた場合が多い。パルテノン神殿のメト-ペの浮き彫りは その最も有名な例である。
(本文訳注 068) アフアイア女神 Aphaia エギナ島で崇拝されていた女神で、ブリトマルテイス・アルテミス女神 Britomartis Artemis と同一視され、その神殿がエギナ島 Aegina に現存している。ブリトマルテイス女神はクレタ島の女神で、ゼウス神とカルメ Karme との娘のニムフである。後エギナ島に遁がれてアルテミス女神に助けられ、その保護を受けて この島でアフアイアの名のもとで崇拝された。
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