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(本文訳注 088) デイデユマ Didyma
ブランキダイ Branchidai とも言う。小アジアのミレトス Miletos 南方にあるアポロ神の神託地で、その神託はギリシャ本土のデルフイと並んで有名であった。ブランコス Branchos を祖とするブランキダイ家系がここを支配していた。10 x 21 柱の二重周柱式、床面 51.13 m.x 109.34 m.のイオニア式の 巨大なデイデユマイオン Didymaion(アポロ神殿)があり、中央は屋根のない中庭をなした。B.C.7 世紀に造営され ペルシャ軍に破壊された跡に、B.C.310 年から AD 2 世紀のロ-マ帝政期までかかって やっと完工を見た。嘗てはミレトスからの沿道沿いに多数の彫像や墳墓が並んでいた。

(本文訳注 089) エフエソス Ephesus  ( page 27 図 01 参照 )
小アジア西岸エ-ゲ海に面し 河口に栄えた古代イオニア地方の港湾都市である。イオニア人の植民市で、B.C. 1000 年頃に建設され、通商と工業とで繁栄し 海上交通の要地となった。古代七不思議の一つとして有名なアルテミス女神の神殿( 9 x 21 柱の二重周柱式、床面 55.10 m.x 115.14 m.で、B.C.550 年頃着工、同 356年の火災後再建)があった。B.C.7 - 6 世紀には殷盛を誇ったが、6 世紀後半には リュデイア、ペルシャの支配に屈した。ヘレニズム時代には リュシマコス Lysimachos の下に再興して、旧に倍する大都市となり、ロ-マ帝国時代には アジア州の州都として繁栄した。新約聖書ではエペソ人 Ephesians の形で表わされ、パウロ Paulus の伝導の地である。

(本文訳注 090) キオス島 Chios  ( page 27 図 01 参照 )
エ-ゲ海北東部のギリシャの大きい島で トルコ西岸から僅か 6 km.の距離にある。面積は約 834 平方 km.、人口は 8 万人余で、東岸の有力なポリスの主都キオスは 良港である。山がちで 最高点は凡そ 1200 m.あり、風景が美しくて 土壌も豊かで、葡萄・オリ-ブ・無花果を産する。古代ギリシャでは最も早く奴隷を使用し、商工業も早くから発達した。民主制への移行も早かったことで知られ、B.C.500 年のイオニアの反乱では、ミレトスと共にペルシャの支配に反抗した。

(本文訳注 091) ヘシオドス Hesiod
生歿年は不詳であるが、B.C.8 世紀末期のギリシャの叙事詩人である。父に従ってボエオテイア地方のヘリコン山 Helikon 麓で羊を牧した 典型的な小土地所有農民であった。民衆の日常生活と道徳をうたった大詩人として、英雄叙事詩のホメロスと並び称せられた。叙事詩<テオゴニア Theogonia(神統記)>は 天地創造の様々な伝承を組織立ててうたい上げた仕事としては、その業績が特に注目されており、教訓詩<労働の日々>は 現実の貴族支配の不正を憤り、勤労を恥としない思想が貫かれて、ギリシャ文学史・思想史の上に止まらず、社会・経済史料としても 極めて貴重であった。

(本文訳注 092) ピンダ-ル Pindar
ギリシャの叙情詩人(B.C.518 - 438 年)で、ボエオテイア地方のテ-ベの近くで ダイフアントス Daiphantos とクレオデイケ Kleodike とを父母として生まれた。幼時より音楽の手ほどきを受け、オリムピアの<競技祝勝歌>など各種の合唱詩を始め 賛歌・行列歌・挽歌など多くの合唱団歌を作り、ギリシャ最大の合唱団詩人と仰がれた。又シシリ-島のヒエロン一世 HieronⅠ、キュレネ王のアルケシラオス Arkesilaos の賓客となり、頌詩を寄せた。雄渾・雅致を兼具し、貴族主義の伝統と主知的人間愛が調和し 保守的詩人の代表である。絢爛で晦渋をきわめた文体を持つ 強くて逞しい文学で、文法とボキャブラリ-を極度に緊張させ、意味不明の一歩手前で踏み止まっていて、偏狭で神秘的な思想、不屈の驕慢な徳の信仰、貴族的騎士道に支えられて、美しい緊張を創出している。

(本文訳注 093) ボエオテイア地方 Boeotia  ( page 27 図 01 参照 )
中部ギリシャの一地方で、北部のオルコメノス Orchomenos、南部のテ-ベを中心とする地で 農牧が行われた。ボエオテイア人はテッサリ-地方から入ったとされ、その上更にドリス人の南下で 北西方言群が加わった。非常に古くから文化が起こり、ミュケナイ文明時代にも栄えた。B.C.447 年にテ-ベを盟主として ボエオテイア同盟を作り、B.C.4 世紀がその最盛期であったが、同 171 年(又は 146 年)に同盟は解散した。古くはヘシオドス、B.C.6 世紀にはピンダ-ルなどの詩人が出たが、アテネ人には いなか者扱いにされた。

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