(本文訳注 101) キトン chiton
古代ギリシャ人の衣服である。通常は麻か木綿製で 直接肌に纏い、ペプロスと異なって 縫い合わせてあるのが特徴とされる。長方形の布の一部を折り返し その折り返しを外側にするが、ドリス式は両肩をピンで 側方は縫うかピンで留め、バンドを使い、袖は短いか 無いかである。イオニア式は全体がゆったりとし、ピンを使わず 首と両腕の部分を除いて縫い、袖は長い。男女両用で、男性は白色系で 仕事着や甲胄の下着として 丈の短いもの、正装用又は俳優や馭者の職業服として 丈の長いものを用い、女性は色物で丈の短いものを ペプロスの下又は単独で用いる。
(本文訳注 102) エキセキアス Exekias
B.C.6 世紀の第 3 四半期に アテネで活躍した黒絵式の陶工兼陶画家で、使用したカロス名は ステシアス Stesias とオネトリデスである。アマシス Amasis、ニコステネス Nicosthenes と並んで B.C. 6 世紀黒絵手の名手とされたが、人物や衣装を細密画風に描写し、黒絵式陶画技法の完成者であると同時に 神話・伝説のモチ-フを 単に説明に終わらせず、英雄の内面を 心理描写を導入して劇的に描いて、クラシカル期美術の先駆をなした。作品は 陶片を含めて 20 点が知られる。赤絵式の創始者<アンドキデスAndokides の画家>の師と考えられている。
(本文訳注 103) アムフオラ amphora ( page 32 図 05 参照 )
<双把手>の意である。古代ギリシャの大型の卵形の壺で、頸部と腹部を結ぶ垂直の把手が2 つ付いている。本来は葡萄酒・オリ-ブ油・食糧の運搬及び貯蔵用で、骨壺、棺としても用いられ、上手ものは酒宴の席上で 酒や水を入れるのにも用いられた。パンアテナエア祭の競技の賞品として与えられたものは、注口と脚とが極端に小さい 特殊な形のものであった。腹部が広いので、陶画の発展のための格好の空間を提供した。
(本文訳注 104) オネトリデス Onetorides
エキセキアス(本文訳注 102)の使用したカロス名である。
(本文訳注 105) レダ Leda
アイトリア Aitolia 王のテステイオス Thestios と エウリュテミス Eurythemis との娘で、アルタイア Althaia と ヒュペルメストラ Hypermestra の姉妹である。テユンダレオス Tyndareos がヒポコ-ン Hippokoon たちに追われて テステイオス Thestios の客となっている時に、レダを妻とした。ゼウス神が白鳥の姿となって彼女と交わり、ヘレネ- Helene、ポリュデウケス Polydeukes、カスト-ル Kastor、クリュタイムネストラ Klytaimnestra が生まれたが、前の 2 者がゼウス神の子で、後の 2 者は 同じ夜テユンダレオスによって出来た子であるという。
(本文訳注 106) レイエ Oliver Rayet
フランスの考古学者。コペンハ-ゲン Copenhagen のカ-ルスバ-グ・グリュプトテック美術館 NY Carlsberg Glyptotek に現在ある若者像を 嘗て所有していたが、1879年にデンマ-ク人の美術保護者カ-ル・ヤコブセン Carl Jacobsen に売り渡した。
(本文訳注 107) テスピス Thespis
古代ギリシャ悲劇の創始者で その祖と言われる詩人であり、演劇の詩的芸術形式を創造した。生歿年は不詳である。アテネ北東のアッテイカ地方のイカリア Ikaria に生まれ、B.C.6 世紀後半に活躍したと推定される。デイオニソス祭礼の合唱団(コロス chorus)に端を発するとされるギリシャ悲劇に、先ず指揮者と応答し 対話する人物として コロスから独立した俳優を創造し、次いで 合唱団の円舞を方形の配置に改めて 舞台を構成し、俳優の役の相違に応ずる仮面の使用や 楽屋なども考案して、演劇的形態の基礎を与えた。その作品の現存するものは皆無であり、題目だけが残っているが、自ら俳優として舞台に立ち、悲劇を多数書いたと伝えられる。
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