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(本文訳注 150) ハリカルナソス Halicarnassus  ( page 27 図 01 参照 )
小アジアのカリア地方の 古代ギリシャ都市で、現在のトルコ南西部にあるエ-ゲ海に面する コス島対岸の半島の町 ボドルム Bodrum の古称であり、ヘロドトスの生地として有名である。B.C.900 年頃 トロイゼン Troizen によって建設されたらしい。B.C.6 世紀には リュデイアのクロイソス王の、その後にはペルシャの侵略を受けた。B.C.468 年デロス同盟に参加したが、同 5 世紀末 再びペルシャの支配下に入った。カリアの総督マウソラスは B.C.370 年頃一帯のギリシャ都市を併合した後、ミュラサからこの景勝の地に都を移し、大城壁、港湾施設、霊廟マウソレウム Mausoleum などを建設したため、壮大な景観を誇る大都市となった。B.C.334 年には アレキサンダ-大王に征服され、B.C.129 年ロ-マの支配下に入った。

(本文訳注 151) スコパス Scopas
B.C.4 世紀のギリシャの彫刻家、建築家で パロス島に生まれたが、伝記は不詳である。プラクシテレスと略々同年代に活躍し、その作風は 甘い情感を持つアテネ作風とよく対比され、より情熱的なものを的確に しかも気高く表現し、悲劇的な激しい感情表現がその特色である。ペロポネソス半島で最も美しいとされたテゲアのアテ-ナ・アレア Athena Alea の新神殿(ドリア式 6 x 14 柱で、凡そ B.C. 350 年建造)の造営とその破風彫刻、ハルカリナソスのマウソレウムの霊廟の群像浮き彫りなどを制作した。
(本文訳注 152) テイモテオス Timotheus
ハリカルナソスにあったマウソレウムのおたまやのフリ-ズの浮き彫りを スコパス、レオカレス、ブリュアクシスと共同で制作した彫刻家の一人で、南面を受け持っている。エピダウラスの出身と見られ、4 人の中では最年長である。B.C.390 - 380 年頃エピダウラスに造営されたアスクレピオス神の ドリア式神殿の破風彫刻を装飾した。

(本文訳注 153) ブリュアクシス Bryaxis
ハルカリナソスにあったマウソレウムのおたまやの 四面のフリ-ズの浮き彫りを スコパス、テイモテオス、レオカスと共同で制作した彫刻家の一人で、北面を受け持っている。アテネの作家であると言われる。

(本文訳注 154) ラムヌス Rhamnus
アッテイカ地方の北辺マラトンに極く近い北方にある遺跡で、ニュックス女神 Nyx の娘で、人間の思い上がりに対する神の憤りと罰とを擬人化した女神ネメシス Nemesisの有名な神殿があった。

(本文訳注 155) フアレロン Phaleron
アテネの南方にあって サロン湾に面しており、テミストクレスが B.C. 5 世紀前半にピレウスの港を築くまでは アッテイカ地方の最大の港であった。アルコン Alkon の子で アルゴナウテスたち Argonautes の遠征や ラピタエ族とケンタウルとの闘いに加わったパレロス Phaleros が この町にその名を与えたとされている。神話では トロイ戦争の終わった後 デイオメデス Diomedes が誤って上陸し、トロイのアテ-ナ女神の神殿に安置されていたパラス Pallas の古い神像パラデイオンPalladion を デモポン Demophon に奪われたのは、この港であるとされ、又クレタ島のミノス王とパシパエ Pasiphae との子で 運動競技に秀れ パンアテナエア祭で全ての相手を負かしたとされる アンドロゲオス Androgeos も、この町で祭られていた。

(本文訳注 156) フアレロンのデメトリオス Demetrius
B.C.350 年頃 - 283 年頃。アテネの文人政治家で、マケドニア王のカッサンドロス Kassandros からアテネの支配者に任ぜられ、B.C.318 - 308 年の間 改革を行った。デメトリオス一世が民主政を復活した時、逐われてテ-ベに逃れ、後アレクサンドリアに行き プトレマイオス一世 Ptolemaios Ⅰに重用され、国政にあずかると共に 図書館・学園の建設に尽くした。宮廷の内紛に触れてプトレマイオス二世に逐われ、上エジプトで毒蛇に咬まれて死んだ。その著は 歴史・修辞・詩論・書簡など広範囲に及んだ。

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