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(本文訳注 157) マケドニア地方 Macedonia  ( page 27 図 01 参照 )
バルカン半島 Balkan の一部で、ギリシャの北方に位する地方である。B.C. 1000 年頃 この地に侵入したドリス人が、恐らく後のマケドニア人の中核を形成したと見られる。次第に東南進し、B.C.6 世紀の半ばには マケドニア平原を占領した。アルケラオス王 Archelaos(在位 B.C. 413 - 399 年)は 軍備を充実し、ギリシャ文化を輸入して 国力を養成した。フイリッポス二世は内乱を統一して その興隆期を迎え、ギリシャ諸都市に干渉し 遂に全土を平定した。その子アレキサンダ-大王は 東方に大遠征し、ペルシャを滅ぼして大帝国を建設した。大王の死後 その大領土は分割され、マケドニア戦争で 3 度ロ-マに敗れ、B.C.146 年以降は その属州となった。

(本文訳注 158) フイリッポス二世  PhilipposⅡ
B.C.382 ? - 336 年。マケドニア王(在位 B.C. 359 - 336 年)。アミュンタス二世 AmyntasⅡの子で アレキサンダ-大王の父。幼時テ-ベに人質となり、ギリシャ文化を習得した。テ-ベのエパメイノンダス Epameinondas に戦術を学び、即位後軍制を改革して 常備軍を置いた。トラキア海岸の鉱山地区を攻略し 北方の蛮族を折圧した。テッサリ-進出の後 カイロネイア Chaironeia の戦いで アテネとテ-ベの反マケドニア連合軍を撃破して ギリシャを制覇した。コリントにギリシャ諸都市の代表を招き ヘラス同盟 Hellas を結成して その盟主となり、ペルシャ遠征を決議したが、その遠征の開始直後 古都アイガイアでの娘の結婚式で 私怨のため暗殺された。

(本文訳注 159) アレキサンドリア Alexandria
アレキサンダ-大王の名を採って命名された 多くの同名の都市の中で、エジプトにあった最も重要な市で、B.C.332 年に大王が ナイル河口西端のこの地を定め プトレマイオス二世の時に完成して その王国の首都となった大都市で、地中海貿易とヘレニズム文化の中心として栄え、人口も 50 万人を超えていた。大小両港を持ち 碁盤目状の大通りが市街に通じ、ギリシャ人・ユダヤ人の特別区もあり 多くの学者、芸術家が集まった。B.C.7 世紀頃からイスラム世界の貿易港で、ロ-マ時代にも エジプト属州の中心となった。壮大な王宮とセラピス神 Serapis の神殿とがある。

(本文訳注 160) シリア Syria
西アジアの地域名である。ほぼ現在のシリア・レバノン・イスラエル・ヨルダン及びイラク南西部を包括する。B.C. 2000 年頃から 商業都市国家が栄え、エジプトの支配が その後長く続いた。B.C.8 世紀にはアッシリア Assyria、7 世紀には新バビロニア Babylonia の支配下に入り、B.C.538 年にはペルシャの領有となった。アレキサンダ-大王の部将セレウコス一世 SeleukosⅠがここにシリア王国を建て ヘレニズム文化を開化させたが、B.C. 64 年にはロ-マの属州となった。

(本文訳注 161) ビテユニア Bithynia
小アジアの北西部にあった古国の古称で、山岳地帯ではあったが 海岸部に良港を持ち、肥沃な平野にも恵まれていた。住民はトラキア系で、固有の風俗習慣を守っていた。B.C.298 年から 297 年に デイアドコイ戦争の混乱時に 王国が成立し、B.C.3 世紀から 2 世紀初めにかけて ギリシャ人の植民都市を占領し 併合して、ヘレニズム文化を吸収し 強国となった。併しロ-マの隆盛を見たニコメデス三世 NikomedesⅢは B.C. 74 年に王国をロ-マに遺贈し、その属州となった。神話では、ポセイドン神の子でギガ-ス族のアミュコス Amykos は 拳闘の発明者とされているが、彼はこの地方に居たという神話中の民族ベブリュクス人 Bebryx の王で、アルゴナウツたちの一員のポリュデウケスに殺され、その後を嗣いだ兄弟王のミュグド-ン Mygdon も 不仲の隣国のマリアンデユノス人 Mariandynos の王リュコス Lykos との戦いに敗れて 殺されたとされている。

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