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と呼ばれる微笑を 恰かも予告するかの如く、その顔の中には鋭い感じを持つ新しい生気が 洩れて出始めている。B.C.7 世紀から 6 世紀への移り目の所辺りで ギリシャ彫刻になだれ込み、B.C.6 世紀の全期間を通して そのまま残っていたこの<微笑>の持つ意味を 刹那的な悦こびの感覚を表現するものであると解釈するのは、きっと誤りだったことであろう。その人物の置かれている状況であるとか その人物の登場して来る構成の持つ性格とかから見て、当然に微笑をする理由のある人物に限って この微笑が見られるということでは無くて、エギナ島にある<アフアイア女神 Aphaia(訳注 68)の神殿(訳注 69)>の西面の破風(図版 74 と 75)では、負傷した兵士にすらもこの<ア-ケイック・スマイル>の表情が見られるのである。顔立ちを彫刻するに当たっては いつも必ず楽しそうな顔立ちに見えさせるというやり方を慣例にして 変えることをしなかったのは、普遍的であり 同時に典型的でもあったものに対して、全力を傾注して当たったア-ケイック期の芸術の 一般的な傾向の一部であったと考えて良いのであろう。この世界で達成されることとなっていて、この世界の美と悦楽とに自らの関心の焦点を合わせた 若い世代の途切れることのないエネルギ-と新鮮さとを 同時に又この微笑が映し出している。

 途徹もなく大きい若者のこうした裸像は ダエダリック期に作られた彫刻物の中でも 恐らく一番重要な創作品であったと見られるが、この彫像が最初に作られたのも亦、B.C.7 世紀半ば頃のことであったのは 疑いを容れない所である。このような男性の裸像は B.C.5 世紀と 4 世紀のクラシカル期の彫像となってそのゴ-ルに到達し 完成を見たものではあるが、B.C.7 世紀の裸像は そのユニ-クな発展にとっての出発点であり、その発展にとっては欠かすことの出来ない先行要件でもあった。ギリシャ人は、男性の直立像の外見上の体裁を エジプト人から採り入れた。併しながら 像の採ったポ-ズは、外側の支柱を必要としない 伸び伸びしたものであり、手足の張りには 活気が充ち溢れており、全体の閉じられた枠組みの中に 各部分のすべてが凝集していて、初期ギリシャの若者像は こういった点で どのエジプトの作品とも基本的に異なっているのである。これらは 純粋にギリシャのものであり、一番初期のものであっても その点で後期のものに見劣りすることはない。一方の足を前方に向けて出し、両眼の視線を 真っ直ぐに前方に向け、両腕は両脇沿いに垂れ下げるか 或いは身体の方に向けて 僅かに内に引くかして、両手を拳に握って 両腿の上に置くというタイプの彫像を一度(ひとたび)展開すると、ア-ケイック期の全期間を通して ギリシャ彫刻はずっと堅くこれを守り続けたのである。

 ギリシャの初期に作られた若者像が、 19 世紀の前半以降 幾つも幾つも次々に出土して来た時に、これらの像はアポロ神を表わしたものであると 当初は考えられていたし、今日に到るまでアポロ神の彫像として知られているものも その中に数多くある。事実僅かしかないけれども 弓とか矢とかいったような持ち物を所持していることから見て、アポロ神であることが明らかに認められ、その名を付けるのが尤(もっと)もであると考えられる像も それらの中に幾つかはある。ただ これらの若者像が表現しているものは、ずっとより広汎で 範囲のもっと広いものであった。神や英雄の肖像を描いたことも 時としてはあるかも知れないけれども、その彫像の寄贈者を描写していることもあったし、又 死者を描いていて この像がその死者の墓の上に記念碑として立てられていたということもあり得たことである。年齢とか 職業とか 素性とか 地位とかいったものは、何一つとして表示されていない。競技者風の姿をした 自らの全盛期の裸体像であるとか、血気盛りの青壮年期の姿を表わすといった風な人間の像が、この若者像なのであった。

 ア-ケイック期に作られた石造のこれらの若者の彫像は、ギリシャのあらゆる彫刻品と同様に 肉体的な面でも 心理的な面でも 人間の単なるコピ-像でもなかったし、人間の単なる摸刻品でもなかった。これらの像は これ以上のものはあり得ないと思える許りの迫真性を持っていて、それは石であると同時に 生きている人間でもあった。その当時信じられていた所によれば、ア-ケイック期の彫刻家の作品の中には生命の活力が入り込んで来ており、色々な方法で自らを表現しようとしているとされたのである。

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