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  アクロポリスの丘の上で出土した あの兵士の彫像が作られたのと同じ年代におけるギリシャには、テラコッタとか ブロンズとか 木とか 象牙のような高価な素材とかを使って出来た 寸法の小さい彫刻品と並んで、寸法の大きい木製の彫刻品も 亦あったのに違いない。ずっと昔に彫られた神々の彫像という意味を持った言葉の クソアノン xoanon(訳注 55)に言及しているクラシカル期の文献がよく見られるが、これらのクソアノン像の中には ジオメトリック期に作られたものも幾つかあり、小像よりは相当程度大きいものも 多少はあったのである。これらの像は、途徹もなく大きい彫像が後年になって生まれて来るための先駆者であり、その初期の段階のものであると見做すことも出来よう。B.C.7 世紀の半ばより少し前の頃になると、ギリシャ人は 石で作られた途徹もなく大きい彫像の方に向かって 決定的なステップを踏み出すこととなった。室内といわず 屋外といわず、途徹もなく大きいものを作るという傾向が、この年代には 造型美術の作品全体の中に滲(し)み亘っていた。この年代に作られた陶器類や ブロンズで出来た器具許りではなくて、初めて作られた等身大の彫像とか 等身大より寸法が大きい彫像とか 途徹もなく大きい神殿の構築物とかを見ても、このことは同様に明らかなのであった。神殿と彫刻とは 密接に繋がり合っていた。大きい礼拝像には それを保管して置くための建造物が必要であったし、巨大な神殿には その破風の上を飾り 長押(なげし)の上を覆うに相応しい彫刻物が求められた。古い言い伝えでは ギリシャのこの途徹もなく大きい彫刻は、ドリス人のクレタ島 Crete(訳注 56)で生まれ、芸術家のダエダロス Daedalus(訳注 57)と結び付いたものであるとされている。この工匠の名は <熟達した名匠>とか <美しくてしかも素晴らしいものを作り出す人>とか言った類いの意味を持っていて、人々の心に感銘を与えたのである。想像上の色々な概念と 史実としての概念とが、このダエダロスという人物の中で一体になっている。この人物は、より後期に属する古代の人々には 神話の人物であると見做されているが、随分と古い昔のことではあっても 史実として確認することの出来る年代において 色々の新しい発見をしたと信じられている 兎にも角にも 第一に来る芸術家なのであり、木彫りを主とする 極めて初期の彫刻家であったとも見做されているのであって、伝説によってその名が後世に伝えられて来た彫刻家たちの 一つの派の長であった。クレタ島やペロポネソス半島 Peloponnesus(訳注 58)と並んで、イオニア地方 Ionia(訳注 59)のキクラデス群島 Cyclades(訳注 60)も亦 B.C.7 世紀の間を通じて 途徹もなく大きい彫刻物の進歩に主導的な役割りを果たしたのであって、その中でもとりわけ ナクソス島 Naxos(訳注 61)とパロス島 Paros(訳注 62)とは、その白く輝いた大理石が 古代世界の到るところで隈なく名声を博し、愛用されたのであった。

 この途徹もなく大きいスタイルが風靡した最初の 50 年間は、ダエダロスの名を取ってギリシャでは ア-ケイック期芸術の中のダエダリック期 Daedalic(訳註 63)と今でも呼ばれている。オリムピアで出土した湯沸かし釜の プロトメ protome(訳注 64)と呼ばれる上部の一部分であった ブロンズで出来たグリフイン Griffin(訳註 65)の巨大な頭部像(図版 4)と、これより少し後に作られたもので 初期のクレタ式石彫りの例証として典型的なものであり、今ではル-ブル美術館 Louvre に収蔵されている 着衣の婦人立像の小像(図版 6)との 2 つは、この年代の初期と中期とに作られたものである。アクロポリスの丘の上で出土した兵士の像(図版 2)の不安定なポ-ズとか 流れるような輪郭の線とかと著しい対照を示して、B.C.7 世紀の半ばに作られたこれらの彫刻品は 輪郭の整った新しい堅実さを極わめるに到っている。ル-ブル美術館にあるこの婦人像(図版 6)は、一つの大きい断塊の上に もう一つ大きい断塊を積み上げて作られている。胴体の下の部分は 衣服の厚い布地の下に隠されてしまい、包み込まれたまま 一塊(ひとかた)まりになっている。所がそれでも このぴんと張り詰めた布地の表面を通して 到る処に、力強くて脹(ふく)よかな形をした身体のあるのが知られるのである。三角形の顔には 表情の豊かな唇と、脇目もふらずにはっきりと そしてしっかりと前方を見詰めている眼差しとが付けられていて、持っている魂の活気が その顔に積み上げられている。ミュケナイ Mycenae(訳注 66)のメト-ペ metope(訳注 67-小間壁)に付いていた女性の頭部像(図版 7)は ダエダリック期の終り頃に作られた作品であるが、この像の顔立ちはもう既に 表情が一段と豊かであって、開けっ放しになっている。所謂<ア-ケイック・スマイル Archaic smile>

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