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 ペルガモンから出土した 支配者であったアレキサンダ-大王の力感溢れた肖像(図版 260 と 261)は、この大フリ-ズの浮き彫りを作った第一級の巨匠と スタイルの上で非常に密接な類似点を持っている。曲りくねった長い巻き毛が房状になって 下を深く切り取られている ロドス島で出土したヘリオス神の 美しくてしかも動きの激しい頭部像(図版 263)も亦同様に ペルガモンの高度な芸術の直接の影響を受けて制作されたものであるのに相違ない。併しながら B.C.2 世紀の第 2 四半期に作られたこの作品にあっては、かの大フリ-ズの浮き彫りが持っていた情緒の荒々しさは 最早すっかりト-ンダウンしてしまっているように見える。この時点以降ヘレニステイック期の彫刻は、最早これまでと同じように 単一の線となって進展を続けて行くのではなくて、幾つもの様々な源泉とか 支流とかに養分を与えられたり、育てられたりした 何本かの流れを作って進展して行ったのである。そうした流れの中には、ヘレニステイック期の遺産を保持し 継続して来ているものもあったし、一方では 過去を求めて引き返し より古い雛型を使って 自分自身の年代に適合する新しい創作品を作り出しているものもあった。その彫刻品は、構成とか リズムとかで 一段とより入り組んだものとなり、単一さのより乏しいものとなって来た。ヘレニステイック期の持つ 過度に装飾的なあのバロック baroque(訳注 180)が はっきり収まってしまった年代は、外面に現われた新しい感情表出が彫刻の中で優位を占めていた もう一つの年代と、交互になっていた。この年代の間を通して、彫刻がもう一度雄弁に映し出しているものは 正にこのギリシャ世界の持つ精神状態であり、世間一般に良くある 溶けて無くなったり 別のものに変わってしまったりすることの一つなのであった。古い神々の中にあり 一つの政治的な要素としての国家の中にもある この古風な信心では、人々は最早 その必要とする自分の精神的な安住を与えて貰うことが出来なかった。その結果 一人一人の個人は、益々頼りにする所がなくなって 自力でやって行く他に道がなくなり、ヘレニステイック期にあった哲学の大きい学派が伝導していた救済の教義の中に 幸福を探し求めたのであって、キリスト教の福音書にある福音とか キリスト教の思想が提議している贖罪の教義といったものを、この学派が予示して見せていたのであった。

 ロ-マのテルメ美術館に収蔵されている統治者の像(図版 264 と 265)とか コス島 Cos(訳注 181)で出土したヒポクラテス Hippocrates(訳注 182)の像として知られている人物像(図版 266 と 267)とかは、本書の図版の中で見れば ヘリオス神の頭部像に続いて作られている 実物大より大きい寸法の肖像であって、どちらの作品も B.C. 4 世紀に作られていた作品をベ-スとして作られたものである。シリアのデメトリオス一世 DemetriusⅠ(訳注 183)のブロンズの像を見て 私たちが 10 中 8 - 9 どうしても気付かねばならないことは、ロ-マ共和国がギリシャの隷属者となっているということであり、これはその当時 地中海地域では間断なく進行していたことであった。ヘレニステイック期に作られたこの統治者の像は、リュシッポスの作った かの有名な<槍を持つアレキサンダ-大王>の像に タイプとしては非常に似通っている。併しながら B.C.2 世紀の半ばに属するこの作者は、クラシカル期後期のものである大王の像の雛型を 単に外面的に利用しているだけなのである。アレキサンダ-大王の彫像と比較して見ると、こちらの人物像の方は そのスタンスがぐらついており、その彫刻の形も 動き易くて止まる所が無く、その顔は懐疑で苦しんでいる。最初に像が出土した時には コス島で出土したこの大理石の彫像は、B.C.4 世紀に作られた原作であるとされていた。併し 若し<マウソラス王の像>(図版 211 から 213 まで)であるとか、B.C.4 世紀のアッテイカ地方の墓碑浮き彫りの中の一つ(図版 227)にあるもので この像と外見上良く似た点のある人物像とかと この像とを比較して見ると、クラシカル期の作品の持つ手堅さとか 簡潔さとかが、この作品には欠けているように見受けられる。この人物像は必要なものが全部揃って 独立しているものではなくて、不安定な形をして立ち、一つの平面の中に 自らの構成全体を押し拡げながら立っていて、この像がその前に元々置かれていた その壁面上に じっと止まって 居続ける場所を捜し求めているのである。そのマントが 柔らかい材質のもので出来ていることとか 襞を生気のある扱いをしていることとかは、丁度頭部が躊躇(ためら)い勝ちで 且つ訝(いぶか)し気なポ-ズをしていることとか 物憂げな凝視が鋭いこととかと相俟って、ペルガモンの大フリ-ズの浮き彫りの あの局面がやがてやって来るのを、前以て予示しているものである。左肩越しに垂れ下がっている マントの縦の線と、この縦の分断線を更に先に延長している 深い襞の線とで、人物像を 2 つにカットしてしまっているこのやり方を見ると、身体の彫刻としての纏まりを求めるという感覚が このやり方では消え去ってしまっていることが、見え透く許りにはっきりしているのである。

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