p3/26 | それと共に 長い年月に亘ってギリシャの彫刻家たちの支えとなって来ていたインスピレイションも亦 消え失せてしまったのである。オリジナルな芸術作品が作られたのと併行して 初期のクラシカル期 Classical(訳注 22)のスタイルを摸倣したギリシャ彫刻の作品が B.C.2 世紀の半ば以降に作られ始めたのは、こんな理由に因るものである。クラシカル期のもののこれらのリバイバル作品は、ヨ-ロッパ芸術の歴史の中で果たした役割が 非常に卓越したものとなっているが、これらの作品が その根源となったものであり、又その最初のものでもある。こうした芸術活動の目新しい形態は、ロ-マ帝国の諸皇帝の治世下で 間歇的に繁栄した。クラシカル期に作られた傑作を摸作した作品とか その自由なヴァ-ジョンの作品とかが、略々同じ頃に作られ始めた。ギリシャの有名な巨匠たちの手になる作品を再生産して欲しいという要望が 引き続いて増していったことから、摸作者たちの数の増加が呼び起こされて、ロ-マ帝国時代の当初の 200 年間には その活動が最も活発であった。 クラシカル期に作られた原作品は 品質の優れたものであって、ユニ-クさと魅力に溢れ、その着想は新鮮であり 芸術的な纏まりを持っていて、摸作者たちがその原作品の良さを再生産することは、もとより望み得べくもなかった。これら摸作者たちは、ギリシャ人の名前が付けられていた許りでなく ギリシャの伝統の中での訓練をも受けたものが大部分ではあったけれども、彼等が生活を営み 作品を作ったのは、原作品が作られた時より数百年も後のことであり、精神的にも 異なった風土の中においてのことであった。従って 彼等としては、一番良くても その原作品を外見上忠実に摸倣することが出来たというだけに過ぎないのであった。 本書に図解されている彫刻品は、その殆ど総べてがギリシャの原作品である。従って、ギリシャ芸術の歴史的発展を完全に調査するためには 欠くことの出来ないものではあっても、本書の中に集録することが出来なかったものも多かった。併しながら、こうやって自ら好んで制約を付けたお蔭で、幾世紀もの長い年月を間に挟んで、ギリシャの彫刻家の持つ芸術的な個性のインパクトを 私たちは直接に感じることが出来るのである。私たちは 作者自身の鑿(たがね)の印しをその石の上に認め、その作者の創造の才能の力を 薄められていないままの状態で感じることが出来るのである。 ギリシャの原作品を眺めている時に於てすらも、私たちの想像力に委ねられている重要な要素が、一つ未だ残されている。それは 作品に着いていた色彩である。ブロンズは 錫と銅との合金である。ギリシャのブロンズ像は、もともとはどれも表面が明るくて、黄金の様に輝いていた。幾世紀もの年月が経過する間に、今日では 色合いの変わっていった色々な緑青が 嘗てのブロンズの上に出て来ているのが見られるが、これは 大自然の影響で出来たものである。この化学的な作因に対応して、色彩は 灰色、黒、濃緑、淡緑、赤褐色と様々であり、時には青のこともあるが、その化学的作因の中では とりわけ大気の組成とか その含んでいる湿気の多寡とかで色合いが決まって来ることが一番多かった。私たちは、石で出来たギリシャの彫刻品は、単色の美術作品であると考えて来たものである。確かに無地の大理石の白い色が大部分であるが、凝灰石の灰色とか 黄色っぽい色調とかのものもあり、時としては 長期間土に接触していたことで出来たような色であったりすることもある。クラシカル期の彫像や浮き彫りは、元は総べて彩色されていたものであったが、今日では大理石の滑らかな表面から 殆ど完全に消え失せてしまっている。多孔性の凝灰石の上には 色彩が多少良く残っており、テラコッタ terra - cotta(訳注 23)の上には 一番良く残っている。着色が施された後で、もう一度焼かれたことに因るものである。テラコッタは主として 当初から埋蔵用の献物に予定されている人物像を作るのに使われていたので、出来上がった直ぐ後には 大地という比較的安全な保管に委ねられることが 通常なのであった。これに対して寸法の大きい大理石の方は、幾世紀にも亘っていつも外気に曝されたままであった。従って極く僅かな例外的なケ-スに 何かしら異常に幸運な事情があって、元元あった着色がそのお蔭で残っているというだけのことに過ぎないし、その場合でさえも 極く僅かな痕跡となって残っているに過ぎないのである。併しながらこれらの着色は、その像がもともとはどの様に見えたのかということを 私たちにまざまざと 思い浮かべさせるのに役立っているのである。 ( 03 ) |
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