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  クラシカル期の芸術がこうした調和を保っているということは、B.C.5 世紀のギリシャでは 外の生活が平穏であり、平和と繁栄の期間であったということと 符合していると考えるのは、恐らく誤りであろう。クラシカル期の芸術の持っている 秩序正しさとか 節度といったものの背後にあるものは、人間性の潜在的な可能性も その限界も 充分に良く認識して 知っているということであり、一人一人の個人の願望というものが、宗教や国家がその個人に求めている要請との間で葛藤を起こしていることを 知能を凝集して分析することから湧き出て来た 明晰な知覚力なのである。宗教や国家の求めているこの要請は 超人的な力であり、人々がその時に問題なく受け入れ、誰に対しても その人の生活に対する安全な骨組みを与えるような そういった力であった。形態と中身とに一貫性のあるのが このクラシカル期の芸術の真髄であり、このことが人間の或る目論見を反映しているのであって、それは 世界史の中でのその重大な時におけるギリシャ人が 絶対にどうしても成し遂げなければならない目的であり、手本でもあったのである。

 ポリクリタスの作った規範の中とか パルテノン神殿の中とかには 支配力のこうした均衡が 汎ねく表現されたところであるが、年代として見ると それはほんの短期間だけ続いたのに過ぎなかった。B.C.431 年から 404 年まで続いた ペロポネソス戦争 Peloponnesian War(訳注 135)が終わった時点で、アテネの持っていたギリシャにおける覇権は潰(つい)え去ったのであるが、芸術の進展という面で見れば、この戦争が何らかの変わり目を作る原因になるということは もともと何一つ無かったというのが事実である。併しながら ニケ女神 Nike(訳注 136)の神殿(訳注 137)の胸壁にある浮き彫り(図版 189 から 191 まで)とか ピレウス Piraeus(訳注 138)の美術館所蔵の少年の像(図版 198)とか デキシレオス Dexileos の墓石像(図版 192)といった作品を見ていると、そこでは パルテノン時代の直ぐ後に最初に続いた この世代において 既に新しい趨勢が現われる徴候が示されている。一つ一つの人物像のバランスが 一変していることにも、更には 人物と衣服との間にある関係とか 浮き彫り彫刻の中に見られる人物像と背景面との間の関係とかに 変化が見られることにも、こうした新しい趨勢が明白に表われているのである。

 B.C.4 世紀になって作られた人物像は、ル-ブル美術館所蔵の ポリクリタスの作ったブロンズの像とは違って、最早 何でもがきちんと揃っているというものではない。重心を懸けている方の脚と 懸けていない方の脚との間に 一段と大きい差異が見られ、身体の軸線が当然のこととして 益々大きくシフトしており、その結果としてこれらの人物像は 一方の側か 若しくはもう一方の側に向かって 更に大きく揺れ動いており、その重心も 中央から別の所に移って行っていて、支柱が構図の中に含まれていることも 稀なことでは無かった。例えば<マウソラス王 Mausolus(訳注 139)>の像(図版 211 から 213 まで)であるとか プラクシテレス(訳注 140)の作ったヘルメス神の像(図版 228 から 231 まで)とかに見られる如く、発展のより後期の段階で そうしたことが見受けられている。自らのしっかりしたスタンスとか 内面の確固たるものとかを これらの人物像が持つことを諦めたのと同じ程度にだけ、言わば周りを取り巻く空間が それだけ大きくなって来たとも言えるのであって、B.C.4 世紀の初期には その空間が人物像の周りを取り巻いたり 雰囲気としての役割りを果たしたりし始めていて、その人物像に対して その空間の持つ独特な対照が、次第次第に益々はっきりと表われて来ているのである。

 人物像の持つ動き易さが増大してゆくのにつれて、又空間的な展開が一段と奥深く拡がってゆくのにつれて、人間の姿はより豊かで 恵まれたものとなり、他のものとより差別のあるものとなった。かくして テゲア Tegea(訳注 141)で出土した美しい頭部像(図版 205)とか クニドス Cnidus(訳注 142)で出土したデメテル女神 Demeter(訳注 143)の像(図版 224 と 225)とか キオス島で出土した少女のデリケ-トな頭部像(図版 242 と 243)といった 稀に見る完成品となって見受けられる通り、婦人像は その特有な女らしさを一ぱいに見せて 描写されているのである。オリムピアにある ヘルメス神の腕の上に抱えられているデイオニソス神 Dionysus(訳注 144

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